「まだ株式会社にして2期目ですが、若い人が将来に希望を持てる会社にしたい。そのために退職金制度を導入したいんです。できますか?」
先日、企業型DCをご提案した解体会社の経営者から、このようなご相談を受けました。
この言葉を聞いたとき、私は率直にうれしくなりました。
法人化してまだ2期目。経営者として、まずは自社の売上や利益を安定させたい時期だと思います。それにもかかわらず、この経営者の視線は、自社の目先の利益だけでなく、社員の将来や解体業界の未来にまで向いていました。
「この思いを、どのような制度として形にできるだろう」
そう考えると、私自身も自然と気持ちが高まりました。
この会社が目指しているのは、自社の成長だけではありません。
「解体業という業界をよくしたい」
「若い人が希望を持って働ける業界にしたい」
そのために、目の前の給与や休日だけでなく、社員が年齢を重ねた先まで安心して働ける環境を整えたい。企業型DCの検討は、そこから始まっていました。
一方、企業型DCの提案現場では、「選択制DCを導入すると、会社の社会保険料はいくら下がるのか」という話から始まり、その削減額だけに関心が集中することもあります。
私は、社会保険料の削減を主な目的として企業型DCを導入するのは、本末転倒だと考えています。社員の将来を支えるための制度を、会社のコストを下げるための道具にしてはいけません。
選択制DCでは、制度の設計や社員の選択によって、結果として会社と社員の社会保険料が下がる場合があります。しかし、それは社員の将来を考えて制度を整えた結果として生じ得る副次的な効果であり、導入目的そのものではありません。
本来、企業型DCは、社員の老後資産形成を支え、お金について学ぶ機会を会社の中につくり、将来まで安心して働ける環境を整えるために活用する制度です。
その目的に価値を感じず、社会保険料の削減にしかメリットを見いだせないのであれば、私は導入しない方がよいと考えています。実際に、経営者にもはっきりとそうお伝えしています。
今回は、企業型DCを目先のコスト削減ではなく、会社の未来に向けた人材投資という視点から考えます。
目先の利益と持続的な成長はどちらも経営に必要
「目先の利益より、持続的な成長が大切です」と言うのは簡単です。しかし、経営では毎月の売上、利益、資金繰りを軽く見ることはできません。
資金が足りなければ、給与の支払いも、新しい採用も、設備投資もできないからです。特に創業から間もない企業や中小企業にとって、足元の利益を守ることは、社員の雇用を守ることでもあります。
ただし、短期の数字だけで判断し続けると、将来必要になる投資まで削ってしまうことがあります。
採用費や研修費、福利厚生費を抑えれば、今期の費用は減ります。しかし数年後、必要な人を採用できない、社員が育たない、経験のある社員が辞めてしまうという問題が起きれば、採用や教育、引き継ぎに別の費用と時間がかかります。
長期的な視点を持つ経営者は、「今期いくら残るか」だけでなく、次のような問いを持っています。
● 5年後、10年後も会社が必要とされるには何が必要か
● 事業を支える人材が育っているか
● 社員がここで長く働きたいと思えるか
● 社員が年齢を重ねても安心して働けるか
企業型DCも、毎月の掛金だけを見るのではなく、こうした問いと一緒に考える必要があります。
法人化2期目でも社員と業界の将来を考える経営者がいる
先ほどの解体会社は、長い社歴や十分な余裕があるから、企業型DCを検討しているわけではありません。
法人化して間もない時期には、人材採用、車両や設備、営業など、他にも資金を使いたい場面が数多くあります。それでも社員の将来に目を向けるのは、人材を単なる費用ではなく、これからの会社と業界をつくる存在として考えているからです。
若い人に選ばれる会社をつくるには、給与だけでなく、働きやすさ、成長できる環境、将来への安心を一つずつ整えていく必要があります。
もちろん、企業型DCを導入すれば人材が必ず定着するわけではありません。定着には、仕事のやりがい、人間関係、勤務時間、休暇、教育など、さまざまな要素が関係します。
その中で退職金制度が持つ意味は、「会社が社員の働いている今だけでなく、その先の生活も考えている」と伝えられることです。
厚生労働省の「令和5年就労条件総合調査」では、常用労働者30人以上の民営企業のうち、退職金や企業年金などの退職給付制度がある企業は74.9%でした。従業員30~99人の企業では70.1%です。
この数字だけで、退職金制度と社員定着の因果関係まではわかりません。ただ、多くの企業が退職後の給付を社員の処遇の一部として位置づけていることは読み取れます。
企業型DCは長期的な人材投資と相性がいい
企業型DCは、会社が規約に基づいて掛金を出し、社員が用意された商品の中から運用先を選ぶ制度です。将来受け取る金額は、積み立てた掛金と運用結果によって変わります。
会社から見れば、毎月の掛金を制度として定めるため、将来の退職金に向けた負担を計画に組み込みやすいという特徴があります。社員から見れば、自分のために積み立てられている資産を確認しながら、時間をかけて将来に備えられます。
会社は、人材の採用、育成、定着に継続して取り組む。社員は、毎月の積み立てを長く続けて老後資産を育てる。どちらも、目先の結果だけに振り回されず、時間を味方につける考え方です。
ただし、企業型DCが全ての会社に合うわけではありません。給与・退職金制度、社員構成、会社が続けられる負担額を確認し、退職一時金や中小企業退職金共済など、他の選択肢とも比べる必要があります。
選択制DCは社会保険料の削減だけでは判断できない
一般に選択制DCとは、労使の合意により給与等を減額したうえで、その減額部分を企業型DCの掛金として積み立てるか、給与等への上乗せで受け取るかを社員が選ぶ仕組みです。
給与等を減額して企業型DCへの拠出を選んだ部分は、事業主掛金として扱われ、社会保険料の計算対象にはなりません。そのため、社員の給与額や掛金額などによっては、会社と社員の社会保険料が下がる場合があります。
しかし、これだけを見て「会社も社員も得をする制度」と説明するのは適切ではありません。
社会保険料の計算の基になる金額が下がれば、将来受け取る厚生年金などが少なくなる可能性があります。厚生労働省も、選択制DCを実施するときは、社会保険や雇用保険の給付額への影響を含め、会社が社員へ正確に説明する必要があると示しています。
選択制DC自体を否定しているわけではありません。会社の制度に合い、メリットと注意点の両方が伝わり、社員が納得して選べるのであれば、有効な選択肢になり得ます。
問題は、削減額が導入の目的になり、社員の老後資産や公的保障への影響が後回しになることです。
ここでの判断基準は、削減額の大きさではありません。社員の将来資産に長く関わる制度だからこそ、会社が何のために導入するのかを明確にし、社員への影響まで説明できる状態にしてから始める必要があります。
導入目的は制度設計と社員への伝え方に表れる
企業型DCは、同じ制度名であっても、どのような目的から検討を始めるかによって、設計や運営の考え方が変わります。
社員と会社の将来を出発点にする場合、最初に考えるのは「いくら削減できるか」ではありません。どのような社員に長く働いてほしいのか、会社としてその社員の将来をどこまで支えたいのか、そのためにどの程度の負担なら継続できるのかを整理します。
そのうえで、次のような点を具体的に検討します。
● 現在の退職金制度で、誰がどのような給付の対象になっているか
● 会社が業績の変動を受けても続けられる掛金額はいくらか
● 年齢や給与水準が異なる社員にとって納得しやすい設計か
● 選択制DCを採用する場合、社会保険や雇用保険への影響を説明できるか
● 導入後も、商品選択や運用状況を確認する機会を社員に届けられるか
こうした順番で考えると、企業型DCは単独の福利厚生ではなく、給与制度や退職金制度、人材育成とつながった仕組みになります。経営者が持つ「若い人に長く働いてほしい」「将来に希望を持てる会社にしたい」という思いも、掛金や加入対象者、社員説明といった具体的な形に落とし込めます。
反対に、社会保険料の削減だけを出発点にすると、制度設計の判断基準が会社の削減額に偏りやすくなります。社員から見ても、制度の目的が十分に説明されなければ、「自分たちの将来を支えるため」ではなく、「会社の負担を減らすため」と受け取られる可能性があります。
ただし、長期的な目的があれば、費用を考えなくてよいわけではありません。良い思いがあっても、無理な掛金を設定して制度を続けられなくなれば、社員の安心にはつながりません。将来への目的と足元の継続可能性を両方確認することが、長期的な制度設計です。
企業型DCは社員の金融リテラシーを向上させられる
企業型DCの価値は、資産を積み立てることだけではありません。社員がお金について考え、学ぶ機会を会社の中につくれることも特徴です。
社員は、用意された預金、保険、投資信託などから運用商品を選びます。そのためには、長期で積み立てる意味、資産を一つの商品に偏らせない考え方、リスクとリターン、手数料の見方などを知る必要があります。
こうした知識は、企業型DCだけでなく、NISAやiDeCo、日々の家計管理を考えるときにも役立ちます。確定拠出年金法では、事業主は加入者等に必要な投資教育を行うとともに、加入後も資産運用に必要な措置を継続的に講ずるよう努めることとされています。
企業型DCを「掛金を積み立てる制度」で終わらせず、「社員が自分の将来を考え、自分で判断する力を身につける機会」と捉えることで、制度の意味は大きく変わります。
企業型DCを導入しただけでは人材投資にならない
注意したいのは、制度を導入しただけで、会社の思いが社員に伝わるわけではないことです。
現場では、説明資料を配っても読まれていない、説明会の時間に仕事があり参加できない、制度用語が難しく自分との関係がわからない、といったことが起こります。任意参加の研修では、元々関心のある社員だけが参加し、本来情報を届けたい社員ほど参加しないこともあります。
会社側が「説明した」と思っていても、社員側に「伝わった」とは限りません。
社員が知りたいのは、「毎月いくら積み立てられるのか」「手取りは変わるのか」「損をする可能性はあるのか」「いつ受け取れるのか」といった、自分の生活に関わることです。
経営者には、費用、会社負担、継続可能性、採用や定着との関係を説明する。社員には、掛金、手取り、家計、将来資産、運用との関係を説明する。
経営者には経営の言葉で、社員には生活の言葉で伝えることが大切です。
金融教育も、長い説明会を一度開けば終わりではありません。勤務時間内の短時間研修、複数回開催、録画配信、社内ポータル、新入社員や中途入社者への定例説明などを組み合わせ、社員が情報に触れやすい仕組みをつくる必要があります。
企業型DCを検討する前に確認したい5つのこと
企業型DCを長期的な人材投資として考えるなら、次の5点を整理してみてください。
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会社を5年後、10年後にどのような会社にしたいか
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どのような人に入社してもらい、長く働いてほしいか
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現在の給与・退職金制度で会社の考えが社員に伝わっているか
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業績が変動しても無理なく続けられる負担額はいくらか
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導入後も社員への説明と金融教育を続けられるか
この5点を考えた結果、別の退職金制度が合うこともあります。それは失敗ではありません。大切なのは企業型DCを導入することではなく、会社の目的に合う制度を選ぶことです。
企業型DCを会社と業界の未来への投資として考える
企業型DCの掛金や運営費用は、導入すればすぐに発生します。一方、人材の定着や金融教育の効果は、来月の利益のように、すぐ数字へ表れるものではありません。
だからこそ、企業型DCには経営者の時間軸が表れます。
今期の費用だけを見るのか。5年後、10年後も会社を支える社員に、どのような環境を用意するのか。社員が働いている時間だけでなく、その先の生活まで支える姿勢をどう示すのか。
同じ企業型DCでも、出発点によって会社がつくる制度は変わります。目先の削減額だけでなく、その先にいる社員と会社の姿まで考えることが必要です。
ライフビジョナ総合研究所では、企業型DCを導入すること自体ではなく、会社の経営方針、社員構成、給与・退職金制度を整理し、会社が無理なく続けられ、社員にもメリットと注意点を説明できる制度をつくることを重視しています。
目先の費用だけでも、理想だけでもなく、会社と社員、そして業界の将来にとって何が合うのか。
そこから退職金制度を考えることが大切です。

